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2009.03.06
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010.zip.jpg若い人が言う。「大人の言うことは信じられない」「自分たちの生き方を押しつけるな」

 大人たちが言う。「時間が経てばお前にも分かる」「お前のためを思って言っているのだ」

 勉強が嫌いな中学生の息子に親が言う。「勉強しろ」

 子どもが言う。「勉強なんか嫌いだ。得意でもない。大学なんか行かない」

 親が言う。「お前は世の中が分かっていない。大人になればオレに感謝するだろう。とにかく大学だけは行っておけ」

 「離婚したい」という娘に母親が言う。「夫婦は耐えるものなのよ」

 娘は言う。「もうだめ。我慢できない。この人と一生を過ごすことはできない」

 母は言う。「私も(あなたの)お父さんと何度も別れようと思ったのよ。でも、あなたも年をとったら分かるわ。あの時、別れなくて良かったと」

どこにでもありそうな会話です。「大人の言うことは嘘ばかり」と思う若者と、「若者は世の中が分かっていない」と言う大人。

 「これ、どっちが正しいのか?」というのが今回のテーマ。

大人の言うことを聞くな

 まず直感的に「どっちも嘘はついてない」と思う。若者の「論理」も正しいし、シニアの「経験」も正しい。お互いに“正しい”と思って言っている。

 ちきりんは昔は、これは「論理と経験のぶつかり合い」であり、包括的に見れば「シニアの方が正しい」と思っていた。だって世の中は論理だけでは動 かない。実際に何が起きるかを体験してからモノを言っているシニアの方が、論理で「こっちが正しいはず」と主張する若者より「現実的には正しいだろう」と 思っていた。

 でも今はそうは思わない。「若者が言っていることの方が正しそうだ」と思うこともたくさんある。つまり「どっちが正しいのか?」という“主語・主 体”の問題ではなく、「何について話しているか」という“対象”の問題によって、若者が正しい場合とシニアが正しい場合に分かれるのだ、と気が付いた。

 では、何に関しては若者の方が正しく、何に関してはシニアの方が正しいのか? その分かれ目は「数十年以内で変わること」と「変わるのに100年はかかること」だ。

 数十年で変わることについては、年配者のアドバイスは無用などころか、誤りを誘いさえする。30歳で生んだ子なら、自分とは30年違う時代を生きることになる。したがって30年以内に変わることについては、親の経験に基づいたアドバイスは役立たない。

 例えば教育制度、雇用制度、結婚のトレンド、経済制度などの社会的な制度や枠組みは30年も経てばすっかり変わってしまう。今から30年前の 1970年代後半には、一流大企業がリストラをするとは誰も思っていなかった。大学が生徒集めに必死になる状況も想像できなかったし、バブルが来るとさえ 誰も思っていなかった。

ah_itou.jpg 1909年(明治42年)には伊藤博文が暗殺された(出典:首相官邸)

 ちなみに「100年変わらない」というのは1909年(明治42年)から今まで変わっていないってことです。「そんなに長い間、変わっていないことが何かあるのか?」と思うほど昔です。

 社会慣習や社会制度などにおいて、こんなにも長く不変ということはあまり存在しない。しかも変わるスピードはどんどん速くなっている。つまり、「大半の“社会的な常識”は数十年で変わってしまうのだ」と思った方がよい。

 というわけで、両親や先生、もしくは、40歳も年上の会社の経営者の方が言う「大学だけは出ておけ」「籍だけは入れるべきよ」「●●業界は将来有望だ」「とにかく若い時は我慢しろ」みたいなアドバイスは、必ずしも有用とは言えない。じゃあ、100年変わらないこととは何か?

 100年変わらないことの多くは“人間の本質”に関わるようなことだ。生まれて、成長して、成熟して、老いて、死んでいく、というサイクルは1000年単位で見てもまったく変わらない。

 また、嬉しいとか好きだとか楽しいとか、反対に、羞恥心、嫉妬心、憤りのような気持ちも変わらない。人間の感情のありようが太古の昔から変わってないことは、歴史を見ればよく分かる。

 つまり、社会制度ではなく人間の“生物としてのサイクル”や“感情や心”に関わるようなことは100年経っても変わらないから、そういうことに関してはシニアな人が言うことをよく聞いておけば役に立つ。


 以前、薬害訴訟の原告で今は参議院議員の川田龍平さんが記者会見で、「中学、高校の頃から『いつまで生きられるか』と考えつつ生きてきた」とおっしゃっていた。

 そんなこと、普通の人は中学、高校時代には考えもしない。しかし70歳になれば死を意識しない人はむしろ少数派になる。つまりシニアな人の多くは、“死”というものを意識した時に「人はどのような心持ちになるのか」「人生はどう見えるのか」ということを知っている。

 それは、大半の健康な若者にとって考えたこともない未知の世界だ。が、それは将来必ず自分にも訪れる気持ちの変化、人生への姿勢の変化なのだ。若い頃からそのことを意識しておけば、生き方が変わることもあるのではないだろうか。

 また、「親が子どもにどんな気持ちを持つものなのか」「大事な人を失ったら、どういう気持ちになるのか」、そういう“人間の感情”も若い時には想像がしにくいが、いずれは誰もが感じることになる感情。「年をとらなければ分からないことがある」というのは事実なのだ。

 というわけで、今回の結論。

人生の先輩方へ

 後輩へのアドバイスは、“人間として”“人との関わりにおいて”どうすべきかという点に絞って与えてください。社会について、仕事についてのあな たのアドバイスは、残念ながら多分役に立たないです。そういうことについては若い人が若い人のやり方でやるのを信じてあげましょう。

人生の新米の人たちへ

 人生の先達が勉強や仕事などについて何かもっともらしいことを言ってきても、おそらくそれらはあなたの人生には関係がありません。

 でも、人として、人との関わりにおいてこうなのだ、という話があれば、それには謙虚に耳を傾けましょう。ずっと後から、あなたもそのことが分かるでしょう。

仕事ばっかりしてたらアカンのよ

 なのだが、さらに一歩進めるともう1つ大事なことが見えてくる。それは、「人として、人との関わりにおいて、生きてきて、学んでこなければ、後輩 に残せる言葉は1つも得られない」ということだ。いくら“社会的に”さまざまなキャリアを積み、ビジネスで大成功しても、“人”として、体験し、感じ、成 長してこなければ、何も誰かに伝えられない。

 つまり「仕事ばっかりしてたらアカンのよ」ということだ。子どもや親や友人や同僚と、人として向き合い、ポジティブな感情だけではなくネガティブな経験や感情も含めて、“人として”感じ考えたことが、次の世代の誰かに伝える価値のある何かを生む。

 これが分かったのは、実は結構大きいかも。

 

 

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